Part 4

みなとみらい 平成12年(2000年)
 
          M50号(116.7cm×72.7cm)
 平成11年4月からみなとみらいの基盤整備を担当するようになり,一度この新しいみなとみらいの街を描いてみようと思っていました。
 こうした絵は,構図から迷いました。
 大黒ふ頭やベイブリッジからは,左側の後ろに富士山が入って雄大ではあるが,生まれ変わろうとしている明治時代に出来た新港ふ頭と,新しい21世紀の街,これを双方描ける,大桟橋旅客ターミナルの屋上からのこの景色にしました。
 この頃は、まだ赤レンガ倉庫は修復中です。
 こうした街の絵は,下絵が大変で山の景色の何倍も時間が掛かりました。
 更に小筆で全部描くのですが,小筆でビルの縦線を描くことの大変なこと,横線はいいが,縦線は息を止めて描かないと曲がってしまいます。年をとってからでは描けないと思いました。
 現在は,赤レンガ倉庫と赤レンガパークの整備を進めていますが,来年の春には大勢の人で賑わっていると思います。
 みなとみらいを水墨で描いた大作は、これが初めてだろうと思います。

 第8回神奈川県水墨画公募展
             
(平成12年)
           絵の具屋三吉賞

幽谷一之倉 平成12年(2000年)
           F30号(90.9cm×72.7cm)
  天神平から谷川岳に登り,沢からの涼風感じながら頂上で,真っ青な空と周りの万太郎山・笠ヶ岳・朝日岳を眺めながら,ビールを飲みおにぎりを食べた,あの爽やかな気分は何とも言い表せない。
 一転,トマノ耳やオキノ耳から下を見ると,約1,000mの谷底,吸い込まれるような感じを受けるのは,その迫力か,それとも自分の頭の重さ故か,兎に角身体を起こさざるを得ない。
 翌朝早く,歴史ある土合山の家を出て,一之倉沢に行ってビックリしたのは,この谷で遭難した700余名の慰霊碑の他に岩や岸壁など,あらゆる所に慰霊の版や刻みがあり,聞こえないが鎮魂歌が流れているようでした。
 清水峠を経て新潟に行くこうした旧街道を行けるところまで行ってみようと,大勢の人で賑わう一之倉沢の通行禁止のゲートを越えて,行き交う人の殆どない小雨の山道を歩きました。
 途中の幽谷之沢は,霧が掛って字の如く暗く不気味だった。 1.5時間程歩いて芝倉沢,ここで崖と共に道も崩れていて先へは行けず折り返しとなった。帰り,一之倉沢では一人で沢に沿って谷に入ってみた。ツイタテ岩の先の本沢の雪渓までは,沢の淵や沢の中の大きな石を乗り越えなければならず,数人のパーティを組んだり,恋人同士の二人だったり,皆それなりの装備をしている。
 無装備では,20分程しか行かれない。
 谷の中では,腰に付けた沢山のハーケンの重なる音や岩に打ち込む金属音が響いていた。
 帰り道,童謡で有名な月夜野町の町営温泉の浸かりながら見た夕暮れの山の上に出た月も最高だった。

 第十七回鳳墨会水墨画展(平成12年)

天明冷気 平成12年 (2000年)
 
          F20号(72.7cm×60.6cm)
 

 全国展に出品するよう先生から言われ,さて何を描いたらいいか…,戸惑いましたが,新世紀明けの2月が展覧会,21世紀の夜明けか…と思った瞬間,立山と剣岳が薄赤く染まった夜明けの景色が思い出され,明るくなっていく称名の瀧を手前に描く,この景色が浮かんできました。
 剣岳を薄赤く色は付けられないが,夜明けの朝靄とあの寒い冷気が感じられれば…と思います。
 来年は,京都美術館で開催されるようですが,八方尾根から手前の不帰沢と正面に白馬連峰を描こうと思います。

 
 第17回全国水墨画秀作展 
       初出品 初入選 佳作



氷壁の谷 平成13年(2001年)
              
F50号 (116.7cm×90.9cm)

 ここは,上高地 河童橋上流 約10kmにある,小説で有名な「氷壁」(左側の垂直な壁)の場所です。 
 この谷の奥が横尾本谷で,涸沢から奥穂高,北穂高岳への入り口です。
 中央の尾根が横尾尾根で奥に槍ヶ岳が見えます。
 ここは,横尾山荘から蝶ヶ岳への急な登山道を1時間程登った,槍見台からの景色です。
 梓川沿いに,この横尾谷約5kmを3時間かけて涸沢へ,また3時間かけて北穂高岳へ,  雪崩が起こって当たり前のような谷でした。
              
 
第九回神奈川県水墨画公募展 四宝堂賞


みどろ沼の春雪  平成13年(2001年)
 
           F30号
(90.9cm×72.7cm)
 
 一昨年3月,裏磐梯に仲間数人で行きました。 残雪の景色を取材に行ったのですが,五色沼の散策コースではあいにくの雪,折角来たのだからと,時々沼へ下りたりして,寒い吹雪の中を歩きました。
 みどろ沼(深泥沼)は,コースの丁度真ん中あたりにあります。ここは,コースの休憩地点,沼は氷と残雪で覆われていて,雪解け水が流れ出ていました。
 我々以外は誰もいなくて,雪解け水の音だけが聞こえ薄ら寒いところでした。とても一人では来られないと思いました。
 何処にでもあるような景色ですが,氷柱や凍った石の上を流れる雪解け水が,左右から流れ,静寂でとても神秘的な所でした。
 水の中の石や木を描くのが難しかった


 第18回鳳墨会水墨画展 神奈川県知事賞


グランドジョラス山塊
             平成13年(2001年)

              F20号72.7cm×60.6cm

 
山は子供の時から好きで,いろんな山に上りましたが,山男の小説を読んでから,世界の三大北壁は一度は行ってみたいと思っていました。 以前ヨーロッパへ行った時そのチャンスは逃しませんでした。アイガー,マッターホルンも雄大で,アイガーでは頂上裏のユングフラヨッホの途中まで,雪の中を登ってスイスの山々やヨーロッパの地形を眺めることができました。
 そしてこのグランドジョラスは,モンブラン観光の麓シャモニーの町からいっきに3,842mまでロープウェイで登ったエギュドミディから,見ることができました。
 丁度,私の兄がモンブランにアタックする人達と頂から吹き上がる雲のこの風景を撮ってあり,私もここから写真を撮ってあったので,それを合わせて構図を作りました。
 この絵は,雲の勉強のために描いてみましたが,頂から吹き上がる雲がもう少し高く上がっていると良かったかと思います。 あのグランドジョラスへは,次の日,登山電車でメールドグラス氷河を見に行き,氷河の先にある北壁をじっくりと見てきました。
 また,氷河駅の目の前に先の尖った雄大なル.ブルバンという山があり,これも感無量で眺めてきました。この山は,山男の間では女山と言われ,山を目指す人は必ず登る山で,いわば練習の場のようです。しかし,ここでは多くの人が転落死しており,蜘蛛男と言われた山男と同世代の鎌倉の女性登山家も,ここで下山途中転落死したそうで,小説の文を思い出していました。

 第18回 鳳墨会水墨画展

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